私とプロセスワークとの出会い

自分と相手の見え方が変わった瞬間

読むのと体感するのは大きな違い

 2016年くらいから、私はずっとプロセスワークが気になっていた。しかし、どういうわけか様々な出来事の中で直接プロセスワークに触れて学べる機会が得られずにいた。本を読んで理解しようとしても、いまひとつピンとこない。ところが、2017年、Dayaの個人セッションで直接ワークを体験して、はじめてプロセスワークという知恵のパワーを体感したのだった。自分や相手、世界を”頭”で理解する以上に、実感を伴った変化、視界が広がるような変化があった。

悩ましい関係性をひも解く

 当時の私は、職場の人間関係の悩みの真っただ中にいた。何をどうしても、分かり合えない。ことあることに、お互いを刺激して対立してしまう。双方がベストを尽くして、最善の道を進みたいと思っているのにうまくいかない。そんな堂々巡りを繰り返していた。

 そんな折に、プロセスワークを教えているDayaという人が札幌に来て個人セッションをするということを知り、さっそくDayaに連絡を入れたのだった。(私はすでに、Dayaの本を読んでファンレターを送ったことがあったので、できたことだと思う。)

 私が記憶しているのは、Dayaが最初に、私の身体の動き(ムーブメントチャンネル)に着目して問いかけたこと。やや緊張していた私は、右手で左の腕をさすっていたのだ。彼女が「その動作にどんな意味があるだろう」と問いかけてきて、戸惑ったことを覚える。そこを入口に、私の中に起きていることを探求していくこととなった。

 そして最も大きな悩みである職場の人間関係の話になると、Dayaは不思議な話の聴き方をした。今なら、それが「ロールスイッチ」というものだったとわかりる。職場で起きている堂々巡りの会話を、私とDayaの間で再現してみる。最初は、私の同僚の役(ロール)を、Dayaが演じてくれる。それを聴いていると、私の中では苛立ちや不安、自分への批判、相手への恐れといった感情が再現されていく。その後、私の役(ロール)をDayaが演じ、私自身がいつも相手から聞いていたセリフをDaya版の酒井麻里に言ってみたのだった。

相手の身になったときの驚き

 その時の驚きや身体に感じたものを、今でも思い出せる。目の前にいる「私」は、まるで壁のようだった。そこにいる「私」は、公平・公正と思っているのだろうけれど、全く取り付く島のない強固な壁のよう。壁を前に、どんどん自分は受け入れられていない、という感覚がわいてきて、身体が固まる感じ。何を言っても届かない感覚。そうか、相手はこんな人間にずっと訴えかけていたのか、、、。

 相手の身になって考える、とはよく言われているが、こんなに体感覚・実感を持って自分側からの景色と、相手側からの景色の違いを味わったのは初めてだった。そして、相手が感じることは私にもよくわかるし、私の中にもあるんだと肚落ちすることができた。

(それがわかったからといって、夢のように相手との関係が改善したわけではなかったが、私はその体験を機に、起きていることを一旦保留して見ることができるようになった。そして、数年後に奇跡的な和解が訪れたのである。)

私の知らない私、私の見てない世界と出会う

 そこから、かれこれ5年になるわけだが、北国に住んでいる私がプロセスワークに触れる機会はとても限られていた。単発のワークショップのために、お金と時間をやりくりして何度か道外に出掛けていった。

 その少ない機会から受け取ったことは、「私の知らない私」の存在。そして、「私の知らない私」は、しばしば誰かの中に現れ、私を刺激するということも実感した。また、「私の見えていない世界」が莫大に広がっているということ。当たり前のように聞こえるが、私が見ていると思っている世界が、他の人から見ると全く違ったものであるという可能性を、畏れのような感覚を持って受け取るようになった。

 プロセスワークと出会ったおかげで、私が見ることができる世界の可能性が広がったわけである。これは、日常の中の関係性を捉える上でも、ファシリテーターとして場にいる方々と出会う上でも、とても大切な気づきだった。ふりかえると、かつての自分の行いには身の縮む思いがある。まあ、生きているうちに気づいてよかった、、。これからもプロセスワークを学び続けて、自分の人生に統合していきたいなと思っている。

(2021年11月のFacebook投稿から転載し加筆した)

 

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